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Drummer / Drum Instructorの K-FUNK a.k.a. 本間克範の日記です。 コメント宜しくお願いします。
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「Playing The Orchestra」

坂本龍一氏のライフワークとなっている、

自身の作品をオーケストラアレンジで再構築するコンサート。

昨日4月9日、

りゅーとぴあでそのコンサートを体感して来ました。


坂本氏は言わずと知れた

小学生の時に兄がカセットテープを持っており、

それを聞かせてもらって大衝撃を受けたのが

ワタクシが音楽への扉を開けた瞬間です。



最初はシンセの音に単純にワクワクしていた訳ですが、

次第に「コード(和音)」に興味を感じていきました。

特に興味をそそられるコードワークを持った曲は

殆どが坂本氏による曲でした。



言わば坂本氏は、僕の音楽の先生だったのです。



勝手に。





まあそんな人は日本全国にいる訳で、

昨日のコンサートも多くはそういったYMO世代でしょう。

坂本氏はクラシックに始まり、

ジャズ、現代音楽、ポップスというフィールドを

通って来られたようですが、

コンサートでは氏のクラシックの側面のみを期待して来る人は

まずいないでしょう。

オケだからといってクラシックな訳ではありません。



かく言うワタクシも、

半分は完全なるミーハー心で行きました。

だって教え子ですから。



いろんな事を感じましたが、

クラシックの作曲とポップスの作曲の違いというのが、

自分の中での今までと同様

ハッキリしないままハッキリした、という感じでした。



クラシックに疎いワタクシですが、

クラシックとポップスの作曲には

「コード」という考えで作曲されたかどうかが

深く関わっている気がします。



特にテンションコード。



各楽器が基本の和音構成の中に於いて

流れの中でテンションを作る音程を発するのがクラシック、

最初から和音構成の中に




テンションを作る音程を含んでいるのがポップス。

言葉で言うとそうなるのでしょうか。



伝わります?



その意味に於いてはやはり




坂本氏はポップスの音楽家だなと思うのです。

氏が本意気でクラシックと向き合って作曲したらどうなるのか⁉︎

逆にそこがとても気になったコンサートでした。





しかし氏がずっとスタイルの根底に据えている現代音楽の要素、

例えばポリリズムや、ノイズを多用したユニークな表現

(バイオリンの擦弦ノイズ、ブラシによるティンパニのスウィープ、

更には木管楽器のキーを押す音でのリズムが秀逸でした!)。

そういったところは、

「さすがオレの師匠!www」と顔がほころびました。





チケット代をケチったので(苦笑)正面から見られなかった為

オケのバランス的にはいい音で聴けませんでしたが、

弾き振りをする坂本氏の表情、

顔も、指先も、

しっかり見ることが出来たのは

ミーハーとしては嬉しかったですね。





中学生の頃、

「坂本龍一は将来音楽の教科書に載る!」

と確信を得て友達に話した事がありますが、

そんな感じは既に飛び越しています。

氏の発言(特に政治的な)を全てフォローしようとは思いませんが、

やはり坂本氏の作った音楽で目覚めてしまった自分としては、

「観てよかった」コンサートでした。





そしてそのコンサートのピアノを調律、調整した

YAMAHAアーティストサービスの酒井武さん

とても美しい音色をピアノが発していました。

アンコールの「戦場のメリークリスマス」に於けるイントロは

ゾクっとする程の煌びやかな高音で

会場を釘付けにしていました。

その黒子に徹した確かな仕事に最大級の敬意を評します。





酒井さん!








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『ミュシャ展』。




現在新潟市万代島美術館で開催されている

話題の展覧会。





久々に夫婦揃って休みが取れたので、

その話題に乗っかって見てきましたよ。




広告デザインで名を馳せた当時としては新世代の画家だったのではないでしょうか。

ロートレックとかも確かそうですよね。



知識は浅いのでそこら辺は突っ込まないで頂きたいですが。




件の『ミュシャ展』ですが、

もう20年ほど前に新潟市美術館でも展覧会が行われ、

まだ子供も生まれていなかった頃の我々夫婦は

時間の余裕に物を言わせて名画の数々を

楽しんできた訳ですが、

今回は本邦初公開の絵画彫刻も多数展示され

とても興味深いものでした。





広告デザインで名を馳せた。

それもそうですが、

写真/フィルム世代の画家なんだなと強く感じました。

構図の取り方、陰影の作り方、パース、

モデルのポージング、

どれをとっても当時としてはきっと新しい、

つまりは現代に通ずる感覚を覚えるのです。




リトグラフでのグラデーション表現も、

仕上がりをイメージした上での個性的な線使い、色使いで、

前回そこまで気をつけていなかったというところまで

つぶさに見る事が出来ました。




更に感じたのはその影響力。




数多くの線を使って表現する影、動き、質感。

「アール・ヌーヴォー」と同義とされるアーチを描くような髪の毛の描写。

そして平面のみならず、

金属の頭部彫像における髪の毛の表現方法。

長い髪を後ろで束ねたその束や、

顔の両側面に垂らされた髪の、

細い髪の集合を塊で作り上げる表現方法は、

現在のフィギュア製作にその影響を感じずにはいられません。





あの漫画家、あのイラストレイター、あの立体造形作家...。




その影響力は多岐に及び、

しかもそれがスタンダードになっている。




驚くべき事実を、

次々目に入る作品群から思い知らされました。






そしてそれらは、

時代背景、民族問題、

様々な感情を、

画を通して表現すると決めた心の強さを孕んで、

時代を超えたスタンダードとして、

また静かなる叫びとして訴えかけてくる唯一無二の存在として、

高めているのだと思います。





ただ好きな絵の原画を見たい。

そんな思いで行ってきたのですが、

それ以上のものを得ることが出来たと感じています。





創作とは。




その一つの答えを見ました。




大変な事だ...。








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先週末は土日とライブでした。

『シューク・フラッシュ!』さんとのライブと

とあるミュージックパーティでのバックバンド&ゲストライブ。




ドラムもパーカッションもバンドの中では裏方。

普通は前面に出てはいけません。

音楽の根幹=リズムを打ち出して

バンドアンサンブルを時に牽引し時に後押しする。

リズムをグルーヴさせる事で他の演奏者も観客もノせる。

ノれれば安心してメロディに酔いしれる事が出来る。





つまり、

リズム楽器がいい仕事をしている時は、

観客の目と耳はフロントマンに向くのです。

だからそんな時は、

リズム楽器の存在感は感じられなくなるのです。
(リズム楽器を演奏する人やコアに音楽を聴いている人は別)





例えばドラムが目立つ時、というのは、

上記のような本来の役割を超えて曲のドラマティックな瞬間を作り出した時と、

上記のような本来の役割を果たせずリズム(やグルーヴ)を破綻させてしまった時。




そんな時、

「ああ、コイツはこんなもんか」

と思われ、次からは声が掛からなくなる。





裏方の存在だからこそ、

それに賭け、手を抜かない。

存在感が感じられないのはむしろそれ自体が評価であり賞賛だと思うのです。





目立たない存在だからこそ、

どうあるべきかを真剣に考える必要があると思います。





それはドラムなどリズム楽器以外でも同じ。





演奏会場でもよくある話ですが、

音響が悪かったり、

ピアノの調律が狂ってたりすると、

「その程度にしか考えてないって事ね」

と思いたくもなる。





裏方は本気で裏方に徹しなければ、

裏方をやる資格はないと思います。






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熱狂のドライブシアターを今なお展開中(コチラ参照)の、



再結成Led zeppelinによる奇跡のコンサート、



「Celebration Day(祭典の日)」。









ワタクシが発売日前に注文してまで買ったのは、



デラックスエディション。



2CD + DVD + Bonus DVDのメディア4枚組。







今日も片道1時間の通勤日なので、



今回はボーナスDVDの「祭典の日・リハーサルバージョン」を鑑賞。









何というんでしょう。



結果的に再結成ツェッペリンの凄まじさを思い知らされる事になりました。









本編はカメラワークもアレコレ動いて



大変劇的に演出されていますが、



固定カメラによる記録映像として撮影されたボーナス版は



ステージ全体を冷静に見渡せてそれはそれで興味深いのです。











いやそれよりも何よりも。









ちょっとラフなそのリハーサル。



いやまあ、



往年のビッグネームグループがこれだけの年月を隔てて再結成するとなれば、



しかもアルバム曲も野心に富んで実験的だったこのバンドならば、



演奏もジャム交じりに多少のラフさをむしろ売りにするくらいの事は



しても当然だしされても嫌な気はしない。



その意味では、



このリハーサルの演奏が本編であってもみんなもっとフランクに受け止めただろうと思う。









ところが。









出来上がった本編はあの驚異的な完成度。



いったいどれほどの集中力で、



あの化け物バンドの幻影を破壊して



同時に現在進行形の生きた姿を創り上げたのだろう?









考えるだけでめまいがする...。











やはり並大抵のバンドじゃあなかった。



解かっていたつもりだけど、解かってなかった。



そんなモンじゃなかった。









今観聴きするからこそ理解できるツェッペリンの素晴らしさを



こんなに楽しめている事に本当に喜びを感じます。



皆さんも是非トライして下さい。





<<レッド・ツェッペリン「祭典の日」>>














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今日ようやく観ました。

Led Zeppelin奇跡の復活コンサート。


その名も、

Celebration Day「祭典の日」。



高速道路片道1時間の職場に向かう道中が、

奇跡の復活祭の会場。




最初のメニュー画面で既に

気分は「ウォーーー!」ww




いや。

聞きしに勝る素晴らしさでした。



Led Zeppelinという、

極めて実体感の強い幻影を

完全に破壊していました。




フロントマンの二人はグッと渋くなり、

JPJは更に渋さを増し、

二代目は凄みを全身から放出していました。



その、

ジョン・ボーナムという偉大なドラマーを父に持つ二代目、

ジェイソン・ボーナム。



その凄みは、

想像出来ないほどのプレッシャー、

一つは父に由来する、

もう一つはバンド自体に由来するプレッシャーを

完全に食い尽くして、

それをエネルギーとし更に大きなパワーを

ステージ最後方から轟音と共に

ぶっ放している感じでした。



いや、

そんな説明では表現し切れないな。



新生Zepを、

唯の「Led Zeppelin」に仕上げてました




どの曲も第一音が鳴った瞬間に

鳥肌がブワッと立ちましたが、

一番クラッときたのは、

「Stairway To Heaven」終わりにステージの巨大モニターに映った

ロバート・プラントの後姿。




もう、カッコよ過ぎて、

絵になり過ぎて、

思わず声を上げてしまいましたよ。





もう一点このコンサートに感じた事。

それは、

Zeppelin meets Digital。

ロバート・プラントの声がデジタルディレイに乗って

クリアにリフレインされて行く。

ある種の違和感を感じました。

嫌悪感は無く、むしろ面白い感覚。




そっか。

昔の音はこうじゃなかったもんなー。

っていう感じ。

カルチャーショックでしたw。




注文してまで買って、

本当はじっくり腰を据えて観たいんだけど、

当分そんな事は出来なさそうなので、

仕方なくドライブシアターしましたが、

そのうちもう一度ちゃんと観るつもりです。




これは何度観ても盛り上がるコンサートだわ。

みなさんも是非どうぞ。








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