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Drummer / Drum Instructorの K-FUNK a.k.a. 本間克範の日記です。 コメント宜しくお願いします。
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3月も最終週に入ってようやく暖かくなって来ました。



今年の3月は、

他の月にも増して例年と違って、

「何でここまで寒いワケいつまでも??」

と思ってました。





そんな中、

行ってきました。





仙台へ。





いや、ボランティアとかそんな大それた事ではなく、

親戚がいるので生活物資を届けに行ったんです。




家も人も無事で、

でもガスはまだ復旧しておらず、

ガソリンスタンドは給油制限がある上に2時間待ち、

スーパーに至っては物がない上に7時間待ち(!)。

そんな状況が先々週位だったかな?



変な話、

避難所にいた方が確実に食事にありつけるという。

無論家が無事である方が有り難いに決まってるんですが、

中には家が無事なのに

避難所の配給に並ぶような人もいるそうで。




みんなが仲良く笑顔で協力し合っているのは

TV局が入っている避難所だけかもしれません。




先々週よりも物資面はやや良くなっている様で、

また僕が行った3/31から

ガスが復旧。

3週間ぶりの風呂に入れると安堵の表情を浮かべていました。


a18b182d.JPG







これは仙台に向かう途中のPAで見たタンクローリーズ。

みんな向かっているんですね。

922fcf3b.JPG






埼玉からの助っ人。

他にも自衛隊は勿論、

関東・関西方面からのトラックも多数北上していました。

頼もしい。

931c338f.JPG





仙台は宮城野区のとあるコンビニ。

隣接するバイクショップは

壁がほとんど剥がれ落ちていました。

549a9020.JPG










そして帰りの菅生SA。

24時間営業のレストランで

名物(だと思ってる)カレーが食べたかったけど、

営業は夕方5時まで。





僕の親戚は全員無事で、

元気な顔が見られてホッとしましたが、

姪の楽器の調整をしてあげている間にも

震度4クラスの余震が。

当然その家の住人はみんな慣れたもので

特に驚く様子もなし。



慣れるのも生き抜く術です。




知人も食料品を携えて避難所入りしたりしていますが、

僕が時間的にも物質的にも環境的にも

今出来ることは自分の身内に手を差し伸べる事。

自分にはこれ以上の事は出来る気がしません。





仙台の中でも比較的被害が少なく済んだ場所は、

車の往来も普通にあり一見「日常の光景」ですが、

夕闇を帰った時には灯りの少ない住宅街や、

営業再開出来ていない飲食店が目に入りました。




それでも日一日と復旧に向かっている姿も

目にする事が出来ました。




命あるものは、

亡くなられた人に恥ずかしくない生き方を全うするのが

役割りであり責務です。

グズグズ言ってないでやれる事、やるべき事を

やっていきます。


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